官庁通り商店街物語 小林時計屋
ヘビ屋の隣。小林時計屋。時計屋といっても時計がたくさん並んでいるわけじぁなく、基本的には修理屋。だからおっちゃんはいつも片目に小さな筒型の拡大鏡をくっつけて修理をしている。子どもの僕の印象はおっちゃん、ミスターハゲ!見事なハゲっぷり!たまたま近くにハゲがいなかったから小林時計屋のおっちゃんが第一人者!でも可愛そうだ。どんなに良いことしても、どんなに人助けしても、あのハゲた人に助けてもらった!あのハゲた人に良くしてもらった!と言われるのである!
ヘビ屋の隣。小林時計屋。時計屋といっても時計がたくさん並んでいるわけじぁなく、基本的には修理屋。だからおっちゃんはいつも片目に小さな筒型の拡大鏡をくっつけて修理をしている。子どもの僕の印象はおっちゃん、ミスターハゲ!見事なハゲっぷり!たまたま近くにハゲがいなかったから小林時計屋のおっちゃんが第一人者!でも可愛そうだ。どんなに良いことしても、どんなに人助けしても、あのハゲた人に助けてもらった!あのハゲた人に良くしてもらった!と言われるのである!
前に登場かめよしの隣。というより隣の部屋。かめよしより更に狭い。臼井ブロック店。たぶん基礎工事とかやっていたんだろうと思うのだが。車2台分いやトラック1台分くらいの狭さ。たしかここにおじちゃんとおばちゃん、そして職人さんがいた。皆人がいい。いつも作業着で真面目。真面目さゆえに他のクセのある商店街のおっさん達とはあまり近くなかったような。皆年取ったんだろうな。生きてれば90くらいか。
八百屋の堀口さんは親父の大の親友だった。親父よりだいぶ若いのだが、子どもの僕にもすごく優しくていいおじさん。ただ、家で酒飲む時、自分の子どもにも酒飲ませる。ありか?習慣というものは恐ろしいもので、飲むんだなぁこれが!言っときます。女の子です。下の男の子にはやたら厳しくて、火箸で頭ひっぱたいてた!今ならアウト!だがその当時はあり?ダメっしょ。
西城秀樹が亡くなった。別にファンではなかったけど、1度だけ市民会館にコンサート行ったことがある。誰の誘いだったか。いやいやYMCAを客席でやった。漫画がきデカのこまわり君のライバルのちょーモテ男は西城君だった。かっこいい男の代名詞だったのだろう。へそ毛を出す事をギャランドゥーと皆言っていた。しゃがれた声で「ハウスバーモントカレーだよ〜りんごとハチミツとろ〜りとけてる」ってマネしたっけ。寺内貫太郎で小林亜星に投げ飛ばされてたっけ。思い出は尽きない。安らかに。・ここからは書き足し・って自分なりに朝5時に思い出書いたんだけど、ワイドショーはそんな映像ばかりじゃん!
実家のすぐ前。今はつぶして駐車場になってる。車二台分くらいしかない。こんな狭い所でよくやっていたなぁ!と今になって思う。「かめよし」一杯飲み屋だ。おばちゃん1人で切り盛り。商店街の親父たちが毎晩のようにこぞって通う。うちの親父も毎晩じゃないが、狭いカウンターで飲んでたっけ。よくあんな狭いところで肩寄せ合って!一坪あたりの売り上げは凄かった!だろうと大人になったあの頃の悪ガキは思う。今、うちの前にあったら、僕はやっぱり毎晩通うぜ。
昨日に続き官庁通り商店街。屋号というのは面白いもので。うちのハンプティ ダンプティも今となってはどうしてつけたか、言いにくいじゃん、の世界である。「つぼや」は壺を売る店ではなくお菓子屋だ。これはよくありがち。「亀屋」は何と小鳥屋。インコやじゅうしまつを売る。店の外に大きく「亀屋小鳥店」!どちらも今は無くなってしまったが、小鳥屋の隣が焼き鳥屋だったら面白かったのに!と考えるのは僕だけか。
僕の生まれ育った町。県庁や裁判所などが立ち並び、それを支える商店街、その名も官庁通り商店街。今日からしばらくはここに立ち並ぶさまざまなお店をご紹介!まずは、どこの商店街にもなかなか無い「ヘビ屋」うちの親父とも仲が良かったヘビ屋のおっちゃん。これから飲みに行くぞ!というお客にヘビの生き血に心臓を入れ振舞うのが仕事。一人暮らしだったヘビ屋のおっちゃんが突然死んだ!死因は誰も知らないが商店街のもっぱらの噂は毒ヘビに噛まれたんじゃねー!である!🐍
今日は今年度最後の理事会。松本だ。泰明、一彦、3人で行く最後だ。この2人に進を加えたメンバーは、同業のライバルでもない、何というか血を分けた兄弟みたいなもんだ。どうせ帰りはへべれけになるのだが、今度からはこの3人がいない。寂しい限りである。縁は切れやしないが、あーあって感じ。クリープを入れないコーヒー?山口君が居ないTOKIO?ひとりぼっちにすんなよな。
今じゃ絶対問題だ!その昔は野球でミスしたりして怒られる時はけつバットが当たり前だった。リトルリーグん時はコーチにバチっと!っとやられる!高校になると先輩にノックバットでやられる!家に帰るとケツにバットの形の紫色のアザが出来ている!結構バカにできないくらい痛いのは、バットのグリップで頭をコンッ!とやられるヤツ!あーあ今はいいよ!死ぬほど痛いけつバット!ナチスドイツか北朝鮮か⁈
こう見えて中島みゆきのファンである。中学の時からだからもう何十年か?・わかれうた・から入り・アザミ嬢のララバイ・に戻りそこからはずっと追いかけた。ユーミンより拓郎より陽水より。顔も好き。何度もコンサートも行った。みゆきもすっかりオババになったが、僕もすっかりジジイになった。嫁は洋楽から最近の娘や息子が聴くものまで何でもござれだが、すっかり頭が固い僕はたぶんナツメロでも聴くように、みゆきを口ずさみながら死んで行くはずだ。
まだ息子は少食である。中学の時は所属していたシニアがきびしかったため弁当箱も決まっており、食べる米の量も決まっていた。少食な子にとっては大変だったと思う。高校球児になった今は弁当は自由なので、女の子みたいな弁当を持って行ってる。前に俺と2人でラーメン食いに行った時、チャーシューメンでもないのに「父ちゃん、チャーシュー食ってくれ。」と俺にくれた。逆じゃ!俺が太ってどうすんねん!
中学の時の担任はゴリゴリの体育教師、佐藤先生。人呼んでサトセン。このサトセンが家庭訪問に来た。うちの母ちゃん、出前で寿司🍣をとった。俺とサトセンは自分の桶に入った寿司を食う。どうやらサトセンは好きなものを最後まで取っておくタイプ。ところが母ちゃんサトセンの寿司が半分になった時、まだ手をつけてない自分の桶と黙って交換した。母ちゃんなりの心づかいなのだが、一瞬自分の寿司を取り上げられた!と思ったサトセンの顔を覚えている!