ソファーベッド
ゴールデンウィーク中の家族全員での断捨離のおかげで、僕は使っていなかったソファーベッド寝る事になった。しかしこのソファーベッドが微妙に全体に左に傾いているのと、ソファーの時のなごりである、腰掛けと背もたれつまりベッドになったとき真ん中に溝が出来るのと、ちょうど首筋あたりに段差が出来るのと・・つまり、寝にくい!人生の3分の一は睡眠と申しますが、果たしてこの先どうなりますか?
ゴールデンウィーク中の家族全員での断捨離のおかげで、僕は使っていなかったソファーベッド寝る事になった。しかしこのソファーベッドが微妙に全体に左に傾いているのと、ソファーの時のなごりである、腰掛けと背もたれつまりベッドになったとき真ん中に溝が出来るのと、ちょうど首筋あたりに段差が出来るのと・・つまり、寝にくい!人生の3分の一は睡眠と申しますが、果たしてこの先どうなりますか?
誰が教えたかうちの子は飯食い終わるとしっかり歯を磨いている。だから3人とも虫歯になんかなった事がない。昔の子どもなんて、虫歯は当たり前だったんじゃねぇ?学校から帰ると夕方近所の「むらかわ歯医者」に行きラジオから流れる「子ども電話相談室」を聞きながら、あの嫌な音「キィーン」と虫歯を掘られていた。だから奥歯は銀歯が当たり前。今でこそ虫歯は無いが、たまーにこの銀の詰め物が取れるからたちが悪い。だから歯医者に行く。
今は亡き僕のじいちゃんとばあちゃんは孫である僕を呼ぶ時必ず「美晴、豊」とそこにいない姉ちゃんの名前をつけて呼んだ。僕が3人の子を持つ親となった今、目の前の1人を呼ぶ時3人とは言わないが「葉、萩!」とか「萩、蓮!」とか「葉、蓮!」なぜか言ってしまうようになった!そういうものなんである。
嫁さんの両親と長女と息子と嫁と僕の計6人車二台で、嫁のオヤジさんの生家跡を見に行こうと言う事になった。飯山の奥。今は家も無く昔、田んぼだった土地も荒れ果ている。オヤジさんは長男だから、名義上オヤジさんの土地である。僕の大好きな「人生の楽園」と重ねて俺がここでカフェとか手打ちそば屋とか民宿とか・・ニョロニョロはいるしカエルはいるし、やっぱダメ。ブブーです。
実家から歩いて10分の善光寺。今はすっかり街並みが変わってしまった。残っているのは唐辛子の八幡屋磯五郎と藤屋旅館くらいか?昔、その近くに文房具屋があって、たまにじいちゃんと行くと鉛筆やノートは保育園の僕はいらないので買ってもらうのは「巨人の星」や「タイガーマスク」がうっすらプリントしてあるちり紙。30枚ほどが束になっている。もったいなくて鼻なんて擤んだことがない。
人が気持ちよく寝てる枕元で、嫁と長女がでかい声で話をしてる。うっせぇなぁ!それも便所コオロギ、いわゆるカマドウマを知らない娘に「足が長くて、柔らかくて、すごく跳ねて・・」と説明してる。娘は「気持ち悪〜うちにもいるの?」寝ているこっちも気持ち悪いわ!そういやぁ昔、靴の中にカマドウマがいて知らずに履いて・・あ〜気持ち悪!起きちゃたやないかい!
テレビがコロナで競馬以外スポーツがいっさいやってないので・・と思ったらビーチバレーやってんじゃん!て思ったらやはり去年のだった。お姉ちゃん4人がけつ丸出しで・・すみません、不純ですが見入ってしまいました。試合が終わり、アナウンサーが「引き続き男子の模様をお送りします」誰が見るかい‼️
昨日は美容の理事長とコロナの休業要請について県知事に陳情に行った。ちょっと時間があったから県庁のすぐ近くの今は無き母校「後町小学校」に行ってみた。今は女子大の寮になっている。あったよありました!僕が2年生の時に何故か?どこから来たのか?蒸気機関車「D-51」デゴイチ!昔はプールの横にあったっけ。あの頃はあまり綺麗じゃないイメージだったけど、そこは女子大!ピカピカに塗り直されて。やー懐かしい。そういえばこの後町小が無くなるという時、デゴイチはどうするんだ?と、まことしやかに同級生と話した。近くで代々続くかつお節屋を営むマサシ君に「お前の店にデゴイチ置けよ!」と言ったら「場所ありっこない!」僕はすかさず「立てておけ!」と言ったのを思い出す。
ちょっとおセンチな話になっちゃうけど、死んだ親父は僕の事が大好きだった。もちろん僕も。だけど床屋だから、僕の試合を見れるチャンスなんてそう無かった。僕は小2からリトルリーグ。全国大会まで行ったけど、父ちゃんは見に来れず。高校に入って当然野球部に。一年坊主はしごかれて。そんな中、レフトの後ろにある林の中から見覚えのあるピンクのミニサイクルにまたがったままの人影。父ちゃんだ。運転免許のない父ちゃんは床屋の休みの月曜日、土手道とばして息子の野球を見に来てくれた。帰ってから僕も父ちゃんも「いたよね」なんて言わない。もう昔話だ。